Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

答えのない問い

世の中に「どうやっても答えを導き出せない問い」というものはたくさんある。

「人は死んだらどうなるのか」、「宇宙はどうやってできたのか」、「ニワトリが先か卵が先か」、などなど。

そういう問いについて考えだしたとき、たいていはなんとなく心地の悪い虚無感や出所のわからない恐怖感に苛まれる。人は死んだら地獄へ行くのか天国へ行くのか、それとも全く別の所へ行くのか。それは誰にもわからない。そう思うととてつもなく恐ろしい気分になる。

答えを到底見つけられないもの、その答えを見つけることに躍起になっても苦労するだけ。どこかで見切りを付けないと胸のもやもやは収まらない。

じゃあどうするか。僕なりの答えはこうだ。

「答えがないなら自分で好きなように答えを作ってしまえばいい」

人が死んだらどうなるのか。そんなことを考えるのは怖いから、「人は死んだら生まれ変わって自分ができなかったことができるようになって(例えばピッチャーになって甲子園の土を踏むんだとか、下手だった絵がうまくなって漫画家になるとか)新たな人生を楽しむんだ」と自分で勝手に答えを作った。そうしたら死ぬことを考えるのが怖くなくなった。

自分で答えを作ってしまえば非常に頭がすっきりした感じがする。ある命題に対しいたちごっこになったら割り切って「こうなるものだ」と思うことにすると楽になる。そんな風に思う。

 

もうちょっと考えてみると「死」とか「宇宙」とかそんな大それた真理についてだけでなくとも、簡単に答えが見つからない場合もあるのではないか。

「昨日喧嘩しちゃった友達が今日学校に来ていない。まだ怒ってるのかな。それとも悲しんでる?喧嘩のせいで体調が悪くなった?わからない。私はどうしたらいいんだろう。」

こんなとき、ただ闇雲に「そういえば別れ際に咳してたな」とか「いつも夜に送ってくるメール送ってこなかったな」とか色々頭を巡らせて考え込んでも結局答えが見つからずおろおろするだけになる。

そうなった場合、ちょっと落ち着いてもう自分なりの答えを作ってみる。「きっとまだ怒ってるんだよ。自分ならそうなると思うもん」という風に。

そうなると「じゃあ今日の放課後謝りに家行ってみようかな」と行動することができるようになる。悩んでいることに対する答えを勝手ながら作ってしまうことで、うじうじ悩んでいる状態を打破するための活路を見いだせるのである。

謝りに行った結果実は単なる家の用事だったとかいう場合もあるかもしれない。別にそれでも構わない。間違えてたってそれがなんだって話なのだ。謝りに行くという行動に移せたことで答えが分かったんだから。

要するに、目の前の現状に行き詰ってしまってどうすれば分からなくなったときには、自分なりの答えを作ってしまえば先に進めるかもしれない、おろおろしているだけじゃ答えは見つかんないよ、ということである。

最初から答えを決めつけて物事に取りかかるのは良くない。けれども壁にぶち当たった時は答えを決めつけることで乗り越えられることもある。決して答えを決めつけるのは悪いことではないのだと思うのである。