Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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「かわいそう」という言葉

僕は「かわいそう」という言葉が嫌いです。

相手への同情の意を表す際に用いる言葉ですが、この言葉には落とし穴があるように思えます。

それは、「かわいそうと言う人」は決して「かわいそうな人ではない」という事です。

震災の被害にあった人に対して「かわいそうに」なんていう人は決して震災の被害にあった人ではないはずです。遠くにいて何の影響もない人だからこそこの言葉が出てくるのです。

かわいそうな人に対して親愛の気持ちで寄り添ってあげているような気がしても、かわいそうにと言われた人にとっては相手の幸せな状況や身分を見せつけられたような気になってしまうと思うのです。何を言っても「してあげている」ことになってしまうような気がします。

相手に向かって直接「あなたってかわいそうな人ね」なんて言う人はあまりいないと思います。それは私たちはなんとなくでも「かわいそう」に差別的意味合いが含まれていることを感じているのではないでしょうか。何かあれば無責任に「かわいそう」という人は無意識にこの差別的感情を容認しているのではないかと思ってしまいます。

もし普段から「私、かわいそうってよく言ってるな」と思うのなら一度自分が面と向かって「かわいそう」と言われた場面を想像してみてください。大抵の人はイラっとするだろうし、少なくとも「嬉しい。ありがとう」と思う人はいないんじゃないかなと思います。

 

「かわいそう」は優しさを纏った刃、そんな風に思います。だから僕は決して「かわいそう」という言葉は使いません。使ってほしくもないです。

言葉のイメージに流され、無意識に相手を傷つけてしまうような言葉はまだほかにもあると思います。その意味で自分の使っている言葉について常々考える必要があると思います。