Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

「突拍子もない文章」は若者の特権

このブログを書くようになった辺りから、今まで小説や漫画しか読んでいなかった僕は様々な自己啓発本を読むようになりました。それらを読んでいると「本を出すような著者はよくこんなにたくさんの内容を深く、説得力のある文章で書けるなあ」とほとほと感心します。

豊富で中身の濃い文章は、彼らの長年の経験により培った知識や考え方があるからこそ書けるものであると思います。結論があっているか間違っているか、賛成か反対かは別として、彼らは人生の荒波に揉まれ続け、様々なことを経験してきたからこそ「~はこうである」と結論を断定した文章が書けるのでしょう。

未だ人生の流れるプールしか経験していない僕のような若造は自分の人生観や価値観を断定することができません。合っているか間違っているかは経験を積まないと分かりませんから。流れるプールから青年期のウオータースライダーを経て、社会という大海に出てみないと、自分の考えや今までに得た知識が正しいかどうかなんて分かりません。

ですから、「断定できる文章」すなわち「人を納得させる文章」を書けるのは様々な困難を乗り越えてきた「年長者の特権」です。

 

では、僕のようなペーペーでも文章を書くときには何か特権がないものでしょうか。特権はあります。いや違いますね。あると思います。

それは「突拍子もない文章」を書くことです。

 

社会を一通り経験してしまえば、自分の価値観や周囲との関わり方が固定化されてしまいます。言い換えれば、社会・自分・人生とはこういうものだという自分なりの答えを持ってしまっています。ゆえに、その人が書く文章は自分が見出した答えに忠実に従ったものになります。そうなると、いくら文章を書いても同じような結論にたどり着きます。人生はむしろ答えを見つける旅と言えますから文章が一本化されるようになることは当然の理です。ですが面白味に関しては少々欠けることでしょう。

 

一方、若者は社会というものを全くと言っていいほど知りません。自分なりの解答はあってもそれを赤ペンで丸付けすることはできません。当然です、経験していないのですから。

でも、だからこそさまざまな結論に達しうるのが私たちの年代です。答えが見つかっていないからこそ「ああでもない。こうでもない。」と頭を巡らします。その結果、突拍子もない解答にたどり着くこともあります。

その解答は、正か誤かは知りませんが、面白く興味をそそられるものではないですか?

 

「部活動は廃止すべきだ」なんて書かれると「んっ!?」って思いませんか?

「炊飯器はファンデルワールス力が沸騰するため堅い」なんて文章を見れば「なにがあった!?」と無性に気になりませんか?

そうして「おいおいそれは違うだろう」とか「まあ言わんとしていることはわからんでもないかな」とか色々考えるわけです。

 

そう。「突拍子もない文章」、言い換えれば「読む人に考えさせる文章」。これこそが人生の見習いである私たちの年代が文章を書く際における特権であると思います

 

若い人は答えなんて見つかってないんだから、「答えなんて分かりませんって」というムカつく顔でいろんなこと吹聴すればいいと思います。そこから思いもよらない発見があるかもしれませんしね。

 

だからこそ、若い人にはいろんな文章を書いてもらいたいし、僕はそれを読んでみたいです。文章ってのは面白いものです。正解なんて分からないのですからうまく書こうとなんてせずに頭に浮かんだこと「そのまんま」を、ノートになりSNSなり家の壁なり父親の額なり色んな所に書いてみませんか。

 

なんか「若い人には云々」と初老のおっさん風に言ってますけど、僕はぴちぴちの21歳、現役大学生ですからね。念のため(笑)