Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

「批判すること」に対して批判される世の中

私たちはある意見を聞いたとき、しばしば「批判」をします。するとそれに対して度々批判で返されることがあります。その内容が「批判の内容」に対しての批判であればよいのですが「批判をすること」に対しての批判であることがよくあります。

 

僕は以前、「子どもに読ませたい漫画ランキング」に、ある国民的バトル漫画がランクインしているニュースを見ました。その漫画は「夢や仲間の大切さを教えてくれるので、子どもたちもそれを見て学んでほしい」といった意見が多くありました。

これに対して僕は「バトル漫画は所詮暴力じゃないか。面白いとは思うけれど子どもに読ませたいという点では当てはまらないと思う。」と批判しました。するとある友人が「そんな批判をするのはバトル漫画を読んでないからだ。」と僕を非難しました。

 

これって論点がずれていませんか。「暴力によって仲間を救うのは子どもに教えたいと思わない」という僕の意見に対して「そう思うのは君が無知だからだ」と返されても、全く反論になってないでしょう。「そういって批判する僕が未熟だ」と批判されても納得はいきませんよ。相手自体を攻撃することで自分と食い違う意見を棄却したいだけではないですか?

「暴力と言ってもそれは仲間を護るためだからいいんだ」といった反論ならばそれは受け入れられます。でも「そんなことで批判するな」と言われると僕は諦めるしかないみたいじゃないですか。

政治家の政策に対して市民が「こうすべきだ」と意見を出して政治家が「君たちは何も知らないくせに余計な口出しをするな」と言うとカチンと来ませんか。それと同じですよ。

 

知識がないと批判はしてはいけないのですか?そんなことはないでしょう。

 

確かに知識がないと見当違いな批判をすることもあるでしょう。だからと言って批判してはいけないわけではないはずです。明らかに間違っている意見ならば、間違っている理由をちゃんと説明してくれればこちらもちゃんと引き下がります。

特に例に挙げたような価値観の相違であればはっきりとした正解はないのですから、なおさら相手自身の価値観を伝えてくれないと引き下がれません。

そうでないと多数派ではない人は自分の思いを述べられないことになります。

 

そもそも「もっとよく考えてみなさい」と言って批判する人はそういえるほど知識を持ているのでしょうか。

 

「バトル漫画を読んでないからそんなことが言えるのだ」と言う人はそういえる程バトル漫画を網羅しているのでしょうか。もっと言えばバトル漫画以外のものも精通しているのでしょうか。

「国政の事情なんて何も知らない一般市民がぐだぐだ言うな」と言う政治家は、そういえるほど政治を極めているのでしょうか。もっと言えば政策の結果市民が受ける恩恵と損害を取りこぼしなく挙げることはできるでしょうか。

 

そんなことはないでしょう。ほとんどの場合はたまたま自分の通ずる範囲内に批判の矢が飛んできただけで知った風に口をきいているだけです。

「もっと勉強したらどうなの」と言われると「そっちこそ勉強してんのかよ」と言いたくなります。

 

そうではなくて、批判を受けたらそれがいくら的外れなことでも一意見として真摯に受け止める。そうして「批判の内容」に対して、「君の意見のここは間違っている。この意見については僕は違う意見だ。」と批判する。決して非難した人自体を罵る言動はしない。

こうして行われる議論は非常に深いものになります。

 

誰しも批判をする権利を持っています。そして批判をされた者はそれについて一考する義務があります。無下に反発して相手の人格を否定するような発言をしていては蟠りが残るだけです。

批判する人は別に相手のことを悪く言おうとして批判しているのではなく。ただ単に自分の疑問をスッキリしたいだけです。

ですから、ムキになって「批判すること」に対して批判するのではなく「批判の内容」に丁寧に批判することを求めます。

 

だれでも気軽に批判し合えるコミュニティはきっとつながりが深いものであると思います。