Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

ありのままの「本音」を受け止めたら、今までの自分がいかに自分じゃなかったか分かった。

僕が21歳の誕生日を迎えてから2か月が経つのですが、この2か月間掲げたテーマの一つに「自分の本音を大事にする」、特に「相手の嫌なところや嫌いなところに対する気持ちも認める」ということがあります。

 

僕は今までずっと性善説を謳ってきました。人は生まれながら善いものであり、少しくらい自分に不利益が被るようなことなら、相手にも考えや事情があるだけで、決して嫌うべきことではないと思っていました。正確には心からそう思っていると思っていました。

性善説を信じていれば人を許したり尊重することができる。性悪説は争いしか生まない。だから性善説を信じることは良いことだと決めつけていました。

 

でも21歳を迎えたとき、それによって自分の本音が薄れていることに気が付いたのです。

相手の行動はすべて善いことをしようとして行ったものであり、自分に被害があっても悪気はないのだから、たとえ自分が嫌な思いをしても自分が相手を責める資格なんてない。だから人はどんなことでも許してあげよう。

そうして他人を許し続けてきた僕は、いつしか「本来は嫌だと思うことでも嫌だとは感じない僕」になっていました。心では嫌と感じているのに頭では「自分の本音は嫌と感じていない」と思い込もうとしていました。

 

その結果、自分の好き嫌いが自分でもわからない状態になっていました。他人を嫌だと思う事はいけないことだといって、自分の「相手を嫌う」という感情を排除してきた結果、「相手を好む」と言う感情も不透明になってきているような気がしたのです。

「こうあるべきだ」という自分の中の定義に従って自分の行為や感情を決めてきたことで、「こうしたい」が分からなくなってきました。

 

いったい自分は何がしたいのだろう?

今自分が取っている行動は本当に自分がやりたいと思ったことなのか?

今言っている言葉は冗談なのか本音なのかどっちなの?

 

自分で自分が分からなくなって、それによって相手が自分を好いてくれているのかも自信がなくなってしまいました。悲しいと思いました。終いには自分には友達はいるけれど、心から友達と呼べる人はいるのだろうか、と自分の人間関係に疑問を抱くようになってしまいました。

僕は「人間はだれでも大好き」という博愛主義を(頭の中で)本気で掲げていたので、相手を嫌うとか相手に嫌われるということをひどく恐れていました。

 

そうして自分の生き方に疑問を抱いた僕は現状を打破したいと色々な本を読んでみました。そうすると、多くの本に「自分の本音と向き合ってみて」と書かれていました。

 

―嫌だとか面倒くさいとか、そういった負の感情でも昇華させたり抑制したりしないで、自分のありのままの気持ちを認めてあげることが大事である。そして自分を好きになる。そうすれば気持ちは楽になってきて自信が芽生える。―

 

程度や詳細は違えど、多くの書籍に共通して書かれていたことです。こういったアドバイスに触れ、「そっか、自分は自分を偽って生きてきたんだな。もっと自分に正直になってもいいんだ。」と思いました。

 

そうして冒頭でも述べた「自分の本音を大事にする」と言うテーマを持って、日々を過ごしてきました。嫌だ、面倒くさい、じれったい、ムカつく、苛立つ、腹立たしい、といった負の感情も「そう思っていいのだ」と自分の心で受け入れてきました。

 

そうやって過ごしてきた結果、自分の中で明らかな変化が起きてきたと感じます。

 

相手の嫌なところから目をそらさずに嫌なところと認識する。その結果、相手の好きなところや良いところもはっきり感じることができるようになってきました。相手を以前より認めてあげることができてきたと感じます。そして相手が純粋な好意を向けてくれている、と自己肯定感も芽生えました。

相手の悪い点を感じることで相手の良い点、そして自分の良い点、悪い点も合わせてはっきりと感じることができてきました。

 

そして何と言っても日々が「楽」になりました。この「楽」は、安楽と言う意味の「楽」であるとともに「楽しい」の「楽」でもあります。自分のありのままの本音を感じることで毎日が楽しくて過ごしやすくなってきました。

嫌だと思えるようになったことで、その反対の好きとか楽しいといった感情もはっきりと感じられるようになりましたし、今まで自分を偽るための労力がありのままの自分で過ごすエネルギーに変わったので心が疲弊したりすることがなくなってきました。

「こうあるべきだ」という呪縛から解き放たれたそこは、実に生きやすいものでした。

 

自分のありのままの感情を受け止めるようにしてきたことで、今までの自分がいかに馬鹿げた本心っぽいものを抱いていたかが分かりました。

「世の中の女の子はみんないい人で一人を選ぶなんてできない」と博愛主義を振りかざしたり、「面倒でも人の役に立てるなら引き受ける」と他人に頼られることが好きな自分をアピールしたり、「どうせ自分はほかの人と価値観が違うよ」と多数派に入らないのを価値観のせいにしたり。

それらはすべて本心なんかじゃなくて、他人の目を気にして自分のプライドを護るために作り上げた偽りの自分だったと気づきました。

本当の僕は、女の子の好みだってあるし、面倒事はできるなら丸投げしたいし、少数派にいる自分も認めてほしい。

それに気づいた今はすごい楽です。

 

自分の本音をすべて認めるというのは照れや今までの自己の否定もあってそう簡単なことではないし、曲がりなりにも21年間生きて築きあげてきた人生観を改築することは不安でしかないですが、本音と向き合ってきたことで確実に日々がいい方向に向かっているような気がします。

 

人を全部好きになるなんて人間なんだからありえない。ありえないことを目指して自分を変えるくらいなら、別に無理な理想は抱えなくていいのだ。良い部分も悪い部分もすべてさらけ出してありのままの自分でいればいいのだ。他人の目なんて気にしなくていいのだ。そう思えるようになってきて初めて自分が「自分」になれると感じてきました。

 

「僕は僕を一番大事にすればいい。僕の人生だから。」

自分勝手ではなく、自分を尊重するという意味でこのことを大事にしていきたいと思います。