Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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「過去の被害者によって今の社会が作られている」ことを忘れてはならない

社会の成長に焦点を当てると、個人の損害が蔑ろになってしまう。これは、どうしようもないことです。集団には実にさまざまな境遇の個人がいるのですから、それらすべてを救いながら集団としても成長するというのは現実的に見て無理な話です。

日本の社会良くしようと思うのならば、誰かが汗水たらして寝る間も惜しんで働かなければならないし、誰かが危険を犯して発展に努めなければなりません。国民が一人残らず不利益を被ることがないまま成長するということはあり得ません。これは仕方のないことです。

これに対して「個人を蔑ろにしてまで国を成長させるのは本末転倒だ」とか「集団の成長にはリスクが伴うのは当然だ。被害が少々出るのもやむを得ない」といった議論が盛んになされています。

僕はこれについてはどちらかと言えば「個人を大切にしよう」派ではあります。ですがそんなことは正直どうでもよくて、このような議論をするうえで忘れてはならないことがあると思うのです。

それは「過去の被害者によって今の社会が作られている」ということです。自分以外の誰かが身を挺して社会の発展に貢献してきたという事実は、忘れてはならないことであると思います。

 

水俣病四大公害病の一つです。アセトアルデヒドの生産工場から流された水銀に由来するメチル水銀が原因となり、付近の住民がメチル水銀に汚染された魚などを食して、体に重篤な異変・障害が生じた公害です。水俣病が発生する前は、環境問題にはそれほど関心がなされなかったようなのですが、奇しくもこの水俣病が契機となり、環境問題への取り組みが熱心になされ、排気ガスの少ない自動車技術の開発など現代の技術発展が進んだというのです。

現在の環境に優しい技術は水俣病があったおかげであると言えることができるのです。「おかげ」というと聞こえが悪いですが、水俣病が発生しなければ現在の発展はなかったかもしれないわけで、結果論として今の豊かな生活を享受する私たちにとってみればよかったことと捉えられるのも間違いではないでしょう。(反感を食らうかもしれませんが、それを承知で「おかげ」という言葉を用います)

 

集団が成長しようとするのは現状に何かしらの不都合があるからです。個人が一人残らず現状に対し不満を持たないなら成長などする必要がありません。豊かになると言う事は、それだけ不便と感じたり、被害に遭ったり、犠牲となったりしていた人が必ずいると言う事です。程度の差はあれ、不利益を被る人がいたからこそ、社会の発展はあるのです。

 

今の生活があるのは昔の人が不利益を被ったことを契機とした恩恵としてある、というのは当たり前のことではありますが豊かになってしまった今、それを視界に入れずに日々を過ごしている人が多いように思えます。当たり前を当たり前として享受している。それでは過去の犠牲になった人たちに申し訳が立たないでしょう。

 

誰かがデング熱に罹ってくれたからこそデング熱に対する知見が深められ自分はデング熱にならずに済んだ。

誰かが命を賭してトンネルを掘ってくれたからこそ青函トンネルが開通して北海道と本州を楽に行き来できるようになった。

こうした「誰か」がいたことを意識することで、今の自分たちの状況がいかに大切にすべきものであるかを再認識できます。そして、日々の幸せを精一杯噛み締めることができると思います。何気ないことにでもかけがえのない幸福感を感じることができると思います。

 

自分のために身を投じてくれた「誰か」がいたことを、僕たちは忘れてはならないと思います。