Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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「ルール」は自由の道しるべ

2000年代の経済はとことん自由化が進められています。法律により企業の活動が制限されていたのが、どんどんその制限が撤廃され企業が自由に会社の長所を押し出すことができるようになってきました。「原則禁止。例外許可。」の方針から「原則自由。問題がある場合禁止。」の方針へと切り替えられたといいます。

自由化と聞くと全面的によい方向に向かっているように聞こえますが、一概にそうとは言えず、常にリスクと背中合わせとなっています。

自由化したということは企業の活動の幅が広がったということ。つまり「競争」が生まれるようになるということです。ゆえにそこには上下関係、ひいては弱者が必ず生まれます。強者になれればまだしも、負け組となって自由化の影響により倒産してしまう企業は山ほどあります。

国が「自由化」という名目で行った政策は、社会にはびこりすぎた企業の整理であるという見方もあります。ある産業が好景気の時に増えすぎたため、不景気になるとその産業全体が共倒れになりかねない。国としてはそれを防ぐために企業の数を減らしたいが「お前の企業は倒産な」と言うのはさすがに無理。それならば「自由化」を打ち出すことで、自然な流れで企業の数は減ることになるだろう。といった真の目論見がある場合があります。

企業にとって「自由」とはまさに綱渡り状態なのです。

 

企業という団体レベルでの自由について見てきましたが、これは個人でもいえることです。今まで規制されていたルールが緩和されると、それに乗じて調子に乗る人が必ず出てきます。

「遠足におやつは300円まで」というルール(規制)を緩和して「遠足におやつの上限はありません。」となるとどうなるでしょうか。必ず「俺2000円!すごくね!?」「いやいや俺なんて3000円だぞ。俺の方がすごいぞ。」「僕は親が厳しいから300円しかもらえなかった。」とそこには大きな格差が芽生えます。お金を持っている人はまさに自由ですが、貧乏な人は自由度は変わらないと同時に引け目やコンプレックスを感じてしまいます。

 

「自由」を打ち出すと、結果的に自由に動き回るどころか身動き一つとれないような人が出てきてしまいます。

一度格差が生じてしまえば改めて元の状態に戻すのはなかなかに難しいです。規制を緩和したものを元に戻せばいいという問題ではないです。

 

誰でも等しく同じような幸福を享受できるようにしたものがルールです。自由を拘束するものではありません。家で飼っている猫は、家の外へは出れませんが、家の中では自由に遊んでいいです。それと同じでルールの範囲内であれば精一杯自由に振る舞うことができます。

逆に自由じゃないからとルールの撤廃を求める人は、結局撤廃しても本当の意味で自由にはなりません。おやつを3000円持ってきたところで、気持ちは「もう1000円。もう2000円。」と飽くなき欲望に支配されます。逆に自由とは真逆の立場になったといえないこともありません。

 

ルールに縛られて「あれもできない。これもできない。」なんてのはナンセンスです。「夜ご飯何がいい?」と訊いて「なんでもいい。」と答えられるのと「魚料理で美味しいものがいい。」と答えられるのとでは後者の方が格段に思い浮かぶ料理の幅が多いです。それと同じでルールが決められているからこそ「あれもできる。これもできる。」と自分がとれる色々な行動案が思い浮かびます。

 

自由すぎる自由は逆に人を迷路に迷い込ませてしまいます。現在のルールに不満を持っている人は今現時点で精一杯自由にできることを模索しているか考えてみることです。意外と自由にできることは考えれば出てくるものだと思います。ルールによって自由は保障されます。

 

ルールは自由の道しるべです。