Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

「当たり前」のことは僕らにとっては当たり前。

「当たり前のことを当たり前だと思うな」という言葉をよく耳にしますが。僕はこのことに対して、ちょっと引っかかることがあるのです。

「お前が当たり前だと思っていることはほかの人にとっては当たり前じゃないかもしれない。例えば、今君はごはんをお腹いっぱい食べられるけれど、貧しい国の人たちは何日も食べていないかもしれないんだぞ。今当たり前だと思っていることは実は当たり前じゃないんだ。」

こう言われると「そんなこと言ったって、僕らにとってはそれが当たり前なんだよ」と思ってしまいます。それ以上でもそれ以下でもありません。

 

毎日三食ご飯を食べることも、蛇口をひねれば美味しい水が出ることも、雨風を凌げる家の中で毎日を過ごすことも、僕たちにとっては当然のこと、当たり前のことです。他の国の人が雨水でシャワーを浴びていようが関係ない。今現時点での僕たちの「当たり前」は蛇口をひねれば水が出ることなんです。

それを「当たり前じゃない人もいるから、僕らの日常も当たり前ではないんだ」と言われると、僕らが幸せを享受することがいかにも悪いことであるかのように聞こえてしまうのです。「水でシャワーを浴びている人もいるのに、のうのうと温かいお湯をたっぷり使ってお風呂を楽しむなんて、お前らは外道だ。」と責められた気分です。

確かに僕らは彼らからすれば極悪非道な外道に見えるかもしれませんが、かといって自分も雨水でシャワーを浴びれと言われてもそうはできません。やっぱり、今ある幸せは享受したいです。自分が我慢したからといって、彼らの生活が豊かになるわけでもありませんし。

 

日常を特別扱いする必要はなくて、当たり前の幸せはめいっぱい感じていればいいと思います。

 

ただし、だからといって当たり前のことをのほほんと享受するだけではいけないと思います。当たり前のことだからといってその有難みを蔑ろにしてはいけません。それは地球全体における人間としてのマナーだと思います。当たり前のことに感謝する。その精神は絶えず持つべきものであると思います。

 

「当たり前のこと」については、それ自体を透明な存在にするのではなく、そこに色を持ってあるもとして、その大切さを噛み締めることが必要であると思います。当たり前のことがいかに自分の人生を構築してきたか。そう考えれば感謝せざるは得ないでしょう。

 

当たり前なことは、享受することも当たり前だけれど、感謝することも当たり前だと思います。