Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

他人の「友人度」は周囲の者が決めつけない方がよい

誰しも「友達」はいるでしょうし、実に様々なタイプの友人と付き合っていきます。その中で、この世の中はどうも「悩みを打ち明けられる友人」が友達の中では最高ランクに位置するとされているような気がします。

「友達」とは色んな話をします。真面目な話、世間話、ふざけた話、下品な話、恋愛話、学問的な話、将来の話、過去の話、価値観の話、悩み話。友人と話す内容は実に多岐に渡ります。

これだけ話すジャンルがあれば当然、得意な話やその人に合っている話は出てきます。下品でお下劣な話題で周囲を湧かせるのが得意な人もいれば、豊富な知識と巧みな弁舌で物事を教えるのが得意な人もいます。十人十色というように誰しも自分の色を持っています。

 

そんな当たり前なことですが、実情を見るといつもふざけてばかりいる友人と将来について語り合う友人とでは後者の方が友達として大事であるかのように振る舞われます。「俺とはいつもふざけてばかりだけど、あいつとは真面目な話もできる。お前は俺よりあいつの方が大事なんだろ?」と自分を卑下してしまいます。

 

しかし、本来はそういった上下の区別はできないでしょう。誰が悩みを打ち明ける方が友人度が高いと決めたでしょうか。色んな話の内容を持ち出し、それを比べて友達として上か下かを考えることは意味がありません。

 

真面目な話ができる人が友人度が上と言うなら、その話が不得意な人はどれだけかかっても親友にはなれません。けれども、そんなことはありません。下品なお前こそ僕にとって一番大事な友達だ、ということも十分あり得ます。

 

友人関係において、人はつい相手の別の友達と優劣をつけたがります。そして第三者から見える話や態度からそれを導き出そうとします。その結果、「自分はあの子と比べるとどうでもいい関係に過ぎないんだな」とか「私が一番近いんだから」と相手にとっての自分の位置を決めつけます。

しかし、自分が相手にとってどの立ち位置にいるかを決めるのは相手です。相手の内面は相手のみぞ知るものです。自分は友達だと思ってても相手はそうは思っていない場合もありますし、逆も然りです。必要以上に自分の友人度を誇示することは軽薄ですし、自分がどうでもいいと思うことは尚早です。

 

第三者が勝手に妄想を膨らませて、僕たちの人間関係を早とちりをしないでほしいと思います。「いつもあの子といるから、てっきりあの子が一番仲良いのかと思ってたよ」とか「適当にふざけてるだけだから、あの子とはそんなに仲は良くないと思ってた」と僕の友達関係を決めつけてほしくはありません。〇〇だから仲が良い/悪いというのは固定観念です。現実は型にはまってはいません。

 

友達の在り方だって十人十色。自分はこういう人だから相手にとって所詮こんな人なんだ、あの子はあの子と仲が悪いんだな、などと下手に周りの者が相手の友達の在り方について勘繰るのは危険です。

人の人間関係には深入りしないのが得策かと思います。