Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

僕が人に「相談」できないのは相談できる相手がいないからではなくて、相談自体が死ぬほど恥ずかしいから。

僕は今までただの一度も「相談」というものをしたことはありません。

高校や大学はどうしようとか野球が上手くになるにはどうしたらいいかなども一応「相談」の部類には入りますがそれはあります。そうではなくて、自分の本音を打ち明けたり弱みをさらけ出したりといういわゆる「悩み相談」のことです。

 

小中高大とずっと悩みがなかったわけではありません。当然ながら人並みにはありました。ただ、それをずっと自分のなかで折り合いをつけて解決してきました。

誰々が自分の言う事を聞いてくれない。そんな時でも、誰かに相談はせず、「自分のこういうところがだめなんだろうな」とか「こう思えば悩みなんて無いも同然だ」と言い聞かせて解決したつもりになっていました。

 

でも、思うとそれはどこか自分の中で蟠りが残るんですよね。今まで誰にも相談せず「自分が悪い。自分が我慢すればそれで済む。考え方さえ変えれば解決する。自分も本心からそう思っている。」と半ば強引にそう思い込んできたせいで、最近になって「なんで僕はずっと悪い思いや我慢ばかりしてきたんだ?」と思うようになってきました。

自分は我慢する必要なんてない。自分を押し込めるのはそろそろきつい。自分の思いだって聞いてほしい。こういった気持ちが芽生え始めました。

ひっくるめてしまえば「他人に自分を認めてほしい」。そういう欲求が出てきました。

 

しかし、悩み相談なんてしたことない僕は、悩み相談の仕方が分からないのです。

 

親からは「悩みを相談できる友達がきっと現れるよ」なんて言葉をかけられてきたけれどそれはとっくにクリアしています。悩みを相談するとしたらこいつだろうな、と思う友達はいます。

けれども、実際に相談しようとすると、顔から火が噴くほどの恥ずかしさに見舞われるのです。「自分がこういったら相手はこう思ってしまうんじゃないか」とか被害妄想ばかり膨らみます。

「僕は〇〇のことが好きなんだ」なんてその好きな相手に告白することは言わずもがなですが、それを第三者に相談した場面を想像しただけでも沸騰するほど顔が熱くなります。

 

「悩みなんて言ってしまえばたいしたことないよ!」なんて声をかける人もいますが、そんなことは分かり切っています。言えば楽になる。打ち明けてしまえば心は軽くなる。

分かってはいるけれどその壁は富士山より高いのです。誰々が信用できないから、とかじゃない。僕にとっては「相談する」という行為自体が東大入試よりも難関なのです。

 

「どうしたの?悩みなら聞いてあげるよ?ほら言ってみて?」と寄り添ってくれる人はありがたいと思うのですが、プレッシャーしか感じません。打ち明けたいけど打ち明けたくない、そんな自己矛盾を孕んでいる僕にとって、その言葉は威圧的かつ好意の押し付けに聞こえます。

それよりは「どうしたの?大丈夫?言いたくなったら話聞かせてね?」と待ってくれる方が良いです。今は自分の中での葛藤・整理の時期なんだと見ぬいてくれる。そんな友達に相談したいと思っています。

 

「悩みなんてない自分」から「悩みなんて自分で解決できる自分」へと随分前に変わり、もうこれで変わらないだろう、これが正解だろうと思って大人になりました。

しかし、さらに考え方が変わり「悩みを解決してもらいたい自分」へ変貌しかけてきました。まだ脱皮途中の段階ですが。

今ではその変貌が功を奏したと言っていいのか、「人に相談するにはどうしたらよいか」を相談するという少しパラドキシカルなことはできるようになってきました。

「こういう時ってみんなはどうしてるの?」。今まではこんなことすら聞いたことがなかったので僕にとっては相談の相談でも新鮮なのです。

 

自分の本音を迷いなく、後悔なく打ち明けられるにはまだ時間がかかると思いますが、ちょっとずつでも進歩していこうと思います。

でも、時間をかけてばかりだと肝心の悩みの内容自体が解決不能になってしまうことになるかもしれない。それは頭に入れながらも、無理はせず自分のペースで、自分の正直な思いが出せるタイミングを待とうと思います。