Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

「自由」について論ずる前に「自由とは何か」をまず最初に定義してほしい

色々なブログを見ていると「自由であれ」と説くものが多くあります。

その流れで「あるひとつの考えに縛られてはいけない」とか「人を批判している暇があったら自分の幸せのために時間を使え」と苦言を呈しているものが多くあります。「常識に囚われていては自由ではない。殻を破ることが本当の意味での自由なのだ。」と彼らは主張します。

読んでいて間違いではない気がするのですが、こういう意見を読んでいつも思うことがあります。それは「この人にとって本当の自由って結局何なの?」ということです。

 

「自分の思う本当にやりたいことをするべきだ」と言いながら人の意見に対して批判したら「そんな人は自由ではない」と言う。

「狭い考えに囚われている人は自由ではない。考え方を広げればもっと自由になれる。」といって常識はずれなことをする人ばかり尊敬する。

 

そんな「俺って自由だからみんな自由になろうぜ」感を醸し出しているが結局「お前の言う自由ってなんなんだ?」と言いたくなる人は多いです。

「俺は人の意見に対して批判したいんだ」と思うことは自由ではないのですか?

「一般論に従って忠実に生きているんだ」という人は自由ではないのですか?

何を以て「自由」と言っているのか分かりません。

 

一番シンプルな考え方で言えば「自由」とは「自分の思うがままに行動すること・できること」であると思います。ですから原因が何であれその人がやったことが「やりたい」と思ったことならばそれは「自由」の結果であるはずです。

それが良いこと/悪いこと、人の賛同を得られること/得られないこと、常識に即していること/外れていること、道理に反していること/反していないこと、どんなことであろうがやりたいと思って取ったその行動は「自由」です。

ですから、他人を批判することも、今ある考えに固執することも、誰かに依存することも、逆に誰にも頼らず生きていくこともどれも「自由」となる可能性はあるはずです。

 

しかし、「自由であれ」といっている文章のなかで「批判する人は自由ではない」とか「誰かに依存している状態からから脱却してこそ本当の自由が見つかるのだ」というものが多くあると感じます。「今までの前提も十分自由と言えると思うんですけど?」そう言いたくなるものが多いです。

その考えに賛同することもありますがその人にとっての「自由」とは何かを説明しないばっかりに「人を批判するのも自由だろ」という批判も出てくるのも当然だと思うところがあります。

 

自由とは何か。これは一言で表すには難しいです。

選択肢が多いから自由なのか、受ける恩恵が多いから自由なのか、自分の欲求が叶うから自由なのか、自然な流れに沿っているから自由なのか。

自由について深く考えれば考えるほど、その真髄を表現するには難しいです。

 

にも関わらず(だからこそ)その自分なりの自由の定義を説明することを差し置いて「こうすると自由になれる」と突っ走る場合が多いです。

それでは一番シンプルな考え―自由とは自分の思うがままに行動すること―を前提とする大方の読み手に批判したいと思われても仕方ないでしょう。

 

助けた亀に「竜宮城へ連れて行ってあげましょう」と言われても「かっこよさげな場所だけど竜宮城ってなんだ?」と思うでしょう。それと同じで「こうなれば自由になれるよ!」と言われても「なんか聞こえはいいけれどそれっていいものなの?」と疑ってしまいます。

 

何事もまず初めに定義を示すことが大事です。それは間違っていても全てを表せなくてもいいです(特に価値観の場合は)。自分なりに「〇〇とはこういうものだ」と言う前提を与えてくれて初めてその人の意見に深く入り込むことができます。

 

せっかくいいことを言ってくださっているのだから、その説得力をもっと高めるために、その人にとっての「自由とはなにか」を知りたいのになと思います。

 

※僕にとっての「自由」はなかなか書き表せられないのでまた後程