「今からでも遅くはない」と言う人は「今取り組んでいる人」に対する敬意が薄いと思う
「夢をかなえる方法」を謳うセミナーや本を見ているとこんなことを言う人が多いように感じます。
「僕は小中学生の時はどうしようもなくダメな子だった。赤点ばかりとり、嫌な授業はサボってばかりだった。そんな僕でも夢をかなえることはできた。だから過去なんて関係ない。大事なのは現在や未来をどう見るかなのだ。」
そう言って過去の実績なんてのは自分の夢を叶えるにあたっては無意味だと言わんばかりの主張がよく説かれているように思います。むしろ「自分は勉強もスポーツもできない落ちこぼれだった。だからこそ夢をかなえることができたのだ」とできない・やってないことの方が大事だと言わんばかりの態度で語りかけてくるように思います。
それを主張する人にとっては「自分に自信がない人でも自信持っていいんだよ。」とか「何もしてこなかったからと言って諦める必要はないんだよ」と弱者救済的なアプローチをして夢を追いかける人の背中を押してやろうという純粋な好意から発せられた主張ではあるでしょう。
しかし小中高とずっと真面目一本でコツコツ取り組む模範生で過ごしてきた僕には、それは少々懐疑的に聞こえてしまいます。
「勉強してこなかった人でも夢を叶えられるなんて、小さいころから大人に言われて頑張ってばかりだった自分がバカみたいじゃないか」そう思ってしまいます。
それはそれで間違ってはいないのでしょう。しかし、怠けてばかりサボってばかりで規則を破って好き勝手し放題な周りを尻目に、毎日宿題もやって規則は守って大人の言いつけに従って成績も評価もある程度得られた僕ら模範生にとってみれば、「なんだ、そこまで模範生でいる必要はなかったのか」と今までの自分の態度にショックを受けます。
その気はないのでしょうが、真面目ちゃんだった僕にとってはその主張が模範生否定論も含んでいるような気がしてなりません。
夢を叶える方法を唱える人は模範生へのフォローが足りていないと思います。
「そうすれば夢を叶えられるのは分かった!分かったんだけど若いころは好き勝手やってて夢を叶えるなんて、あなたはずるい!!」と妬みの対象となります。少なくとも僕は。
夢だけに限らず「今からでも遅くはない!」とアドバイスするような人は総じて「今取り組んでいる人」に対する敬意が薄いように感じます。
今からでも遅くはないけど今取り組んでいる人はそれだけ有利なはずでしょう!?もっと前から取り組んでいる人は、それだけ夢には近いはずでしょう!?
そうでないと何のための努力なんだってなりますし。
しかし、それを差し置いて「今現在がみんなにとってのスタート地点なんだ」と取り組んできた人と取り組んできていない人が同列に扱われてしまう。これにはどこか不快感を感じます。
そんなんだから「頑張っても報われない世の中」という風潮が蔓延するんですよ。
けれどもそれはどこか切ない。やはり頑張ってきた者はそれなりに恩恵を被ることができてほしい。
「どーせ俺なんて何もしてこなかったし」と自信のない人を勇気づけてあげるのもいいけれど、真面目に努力を続けていれば幸せが得られるという大人の戯言を信じてきた真面目ちゃんへのフォローも大事だと思うのです。