Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

しない善よりする偽善

「しない善よりする偽善」

これは、小説家の村山由佳さんが自身の小説のあとがきで述べた言葉です。

何もしないでいるくらいなら偽善でもやる方が偉いのだ、と。

これには全面的に共感します。

 

震災の被害者のために少ないけれども募金をする。それだけで自分は復興に大いに貢献したのだと満足する。

傍から見たら「こいつは自分の善行に酔っているだけだ。お前のやっていることは所詮偽善だ。復興に手を貸した良い奴と思われたいだけだろう。」と思われるかもしれません。

けれども、そのお金は微々たるものではあるものの確かに誰かの役に立っています。

自分に酔っていようが良い奴と思われたいだけだろうが、その行いは確かに「善」です。「本当の善とは何か」を議論するだけで、口先だけで偉ぶっている人よりよっぽど偉いです。

ベッケンバウアーの「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」に相通じますが、偉い者がやるのではなくやった者が偉いのです。

偽善だからといってやらないでいては、決してその人は善ではありません。

 

逆に、

「自分が特別だとか思い上がっている奴だと思われたくない。」

「自分のやろうとしていることは偽善や自己満足ではないのか」

そう思ってやろうとするけれど萎縮してしまう人もいます。

「自分はそこまで偉い人間じゃない」と良かれと思うことでも臆病になってしまいます。

 

確かに周りの目は怖いです。けれどもそんなことは構わずやればいいんです。

どうせ無意味だと思うような小さなことでも、ずっと何もしないよりかは何倍も偉いです。

それで周りから偽善者だと非難されれば、見下しておけばいいんです。本当の善者は「お前は偽善者だ」などとは言いません。そんなことを言う人は偽善すらできていない、善者とは真逆の人です。

偽善者かどうかは自分で決めればいいんです。

 

しない善とする偽善は天と地ほどの差があります。雲泥の差、月とすっぽんです。誰かのために何かをすることはそれほど大きなことです。

ですから、自分が良いと思ったことは自信をもってやればいいです。

「本当に役に立っているだろうか」とか「実は逆に困らせてしまう事かもしれない」と疑念を抱いたとしても、自分が「良いことだ」と思ったならば貫き通せばいいんです。

「人の役に立ちたい」。その意思があるだけで十分偉いです。

 

一番は誰からも慕われる「する善」です。ですが「する偽善」もそれに匹敵するくらい偉いことです。

頭で善とか偽善とか考え込んでいるくらいなら、たとえ偽善でもいいから今すぐ実行に移してみましょう。大丈夫、きっと十分貢献できています。

 

善は急げ。偽善でも急げ。