Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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「人それぞれ」で議論を終わらされるのには辟易する

何かについて議論しているときに「結局は人それぞれだからね」と真理を述べる人。

僕はこれには非常に辟易します。

 

「おにぎりの具と言えば?」というお題に対して

「やっぱりツナでしょ!」「えー、昆布だよ」「鮭しかないでしょ!」「梅干しだろ」「いやいやイナゴの佃煮を忘れてもらっちゃ困る」とさも自分が一番正しいかのように自分の考えをアピールする。

こうした議論は話が盛り上がります。

「確かにそれもありだなー」とか「いやそれはないわー」と相手の意見に対して納得したり否定したりするのは楽しいです。

 

けれどそこに、「まあ人それぞれ好みがあるから一概にはどれが良いとかは言えないよねー」なんて言葉が投下されたらどうなるか。

「あー、うん、そうだね。」と話を止めざるを得なくなります。

 

別にこの議論は世界を基準とした正解は求めていません。自分たちのコミュニティーの中での正解を作り出そうとしているだけです。それなのに世界の基準を持ち出して水を差されるとイラッとします。

そのくせ、「僕は真理を言ったまでだよ」と悪びれた様子がないのがまた厄介です。まあ悪気はないでしょうが。

 

「人によって異なるから」という個性の違いを挙げて「これがベストだ」という意見が却下されると議論が成り立ちません。正論だけに腹立たしいです。

 

100人が100人賛成するようなものはないのは百も承知です。僕らは絶対的正解を導きたいのではない。それを導く過程を楽しみたいのです。

それを「人それぞれ」の一言で終わらされたらたまったものじゃないです。

 

議論の上で「人それぞれ」はタブーです。