Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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物事を「貸し借り」でしか考えられない人は、自分が無条件の優しさを享受していることを知らない

物事を何でも「貸し借り」で考える人って結構います。

「借りた借りはきっちりと返す。返したらきっぱり貸し借りはなし。」

これだけならいいのですが、自分の貸しについて「貸した分はきっちり返してよね。」とか言う人には腹が立ちます。

 

先日学部の女子に「過去問手に入ったんなら僕にも見せてよ」と言うと「じゃあ私には何をしてくれるの?」と真面目顔で返されました。「私に借りを作るのならちゃんと借りは返してよね。何もしてくれないなら私だって何もしないよ」みたいに言うわけです。

前期にはレポートのこと色々教えてやったじゃないかと言うと「それは前期でしょー。後期には私何もしてもらってないもん。」とほざくのです。

 

おいおい、待てよと。僕は今まで散々無条件でサポートやら何やらしてあげたじゃないかと。

単純に「教えて」っていうから「いいよ」って教えてあげました。その後の借りなんてのは気にしてなくて、純粋に困っているから手を貸したのです。

それなのに勝手に「あのときの借りはもう返した」とか勝手に解決した風に言われても「お前何様!?」って感じです。回数だけ見ればどちらかと言うと、というか圧倒的に僕が譲歩してことの方が多いはずなのに。

 

物事を貸し借りでしか考えられない人は、自分が作った借りが、相手が見返りを気にせず無条件に貸してくれたものだということに気付いていないと思います。

 

見返りを求めて手を差し伸べられて気持ちの良い人なんていないと思います。自分が気持ちよく思えるのは、相手が見返りを求めていないからこそです。

その癖に、自分が借りを返したと思った途端に上手に出て「やってあげるんだから、それなりに返してよね」と条件づけた優しさを提示します。自分が逆だったら訝しがるのに。

 

金銭の貸し借りは目に見えて額が分かるからいいのですが、優しさは目に見えません。等価交換などできるはずもありません。

それなのに「あれはあれでチャラでしょ」とさも当然のごとく自分の行為が相手の好意と同等の価値があるかのように言うなんてまるで自己中心的です。不細工です。

 

そういう人たちは「自分から」なにかをしてやろうという意思が全くない。常に相手から享受するだけ。

「悔しいなら君も先輩と仲良くなるように努力すればいいじゃん。私は努力して過去問貰ったんだよ」とか馬鹿じゃないの。そんなの努力とか言わない。縋っているだけ。先輩は単純な優しさで過去問をくれたのにそれに全く気付いていない。それでいて自分を棚に上げる。最低です。

 

貸し借りとか、見返りとか、等価交換とかばかり持ち上げる人はギブ&テイクを重んじているようでそれから最も遠い存在に成り下がっている気がします。

そういう人は自分がテイクしている度合いがえらく高いことを自覚してほしいと思います。

 

「~してくれたから」は好意でもなんでもありません。「~しなかったらしない」といことですから。

そういって「誰かにしてもらって」から動くのが当然の人は好きにはなれません。

 

好意は見返りを求めた時点で優しさがはがれた単なる行為です。