Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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「諦める」ことで見えてくるものは山ほどある

「諦める」ことはいけないことでしょうか。

 

何かと大変なこのご時世、目の前のことを投げ出したい、放り投げたいと思うことは多々あるでしょう。

そんな時、周りの人は決まってこう言います。

「諦めなければなんとかなるさ」って。

 

「諦めたらそこで終わりだ。今はまだ結果が出ないだけ。もう少し続ければきっと結果は出るさ。」

そう言って「諦めることはいけないことだ」という教えを授けられてきました。

 

しかし、諦めないというのは聊か辛いものです。

いつになったら結果は出るのか。どれだけ頑張れば夢は叶うのか。

そんな出口の見えない茨の迷路に挑む僕たちにとって、ゴールにたどり着くまでにどれだけ血肉と精神を蝕めばよいかは計り知れるものではありません。

諦めなければいつかは叶うと言います。けれども叶ったときに傷だらけでは元も子もないです。諦めるなと言う事はもっと傷を負えと言っていることと変わりないです。

 

それなら、諦めたっていいじゃないですか。傷つくことは止めて、逃げ出せばいいじゃないですか。

諦めたら楽になる。それは確かです。楽な方を選んだとしても誰にも文句は言えません。

 

そもそも、「諦めたらそこで終わり」ではありません。

諦めたら今までの道を客観的に見ることができます。今まで進んでいた茨の迷路を俯瞰的に見ることができます。

そうすると迷路の全体像がはっきりと浮かび上がります。ゴールまであとこれぐらいだったとか、始めたときからこれくらい足を進めてきたのだということがくっきりと分かります。

「あきらめる」とは元々仏教用語で「明らめる」と書きます。すなわち「諦める」とは事実から逃げることではなく真理を明らかにすることなのです。

「諦める」ことで見えてくるものは山ほどあります。

 

そうして状況を把握した上で、「もう一度やりたい」と思うのならばなんのことはない、もう一度挑めば良いんです。

一度諦めたからといって挑戦権がなくなるわけではありません。何度だってリトライは可能です。

そうすれば、進むべき道が茨の道であることに変わりはありませんが、見える景色はただの茨ではなくなるでしょう。自分の体を強くするための茨。そう思えるでしょう。

自分には何が足りないのか。自分は何をすべきなのか。そういった自分の進む先が以前より手に取るように分かるでしょう。

 

そうやって這い上がってきた人は強いです。

 

諦めることで今までのすべてがなくなるのではありません。諦めて今までの苦しみから目を逸らすからすべてがなくなるのです。

自分の進んできた道を目に焼き付けておけば、たとえ諦めたとしてもその努力は轍となってずっと残ります。

 

諦めることは悪いことじゃない。逃げることは弱いことじゃない。