Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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「人間性」には「偽善」が含まれる。

今日の大学の講義で興味深い話を聞きました。それは、「人間性とは、人間の生物ではない部分のことを言う」という話です。

 

動物は良く言えば純真・正直ですが、悪く言えば利己的です。

彼らは本能的欲求に従って自分の意思に忠実に行動をとります。周りのことなんて考えず自分中心に物事を考えます。

そういう意味では幼少期の子どもも利己的と言えます。

 

しかし、人間という生物は大人になるにしたがって他人の存在や意思を汲み取り社会を形成する、いわゆる「人間性」を身に付けます。

元々利己的な欲を持つが、社会のために我慢をすることができるのが人間です。

動物も群れを作ったりするので他者理解の心がないとは言えませんが、少なくとも人間より他己的精神を持っている動物はいないでしょう。人間は他の生物よりも圧倒的な他己的精神を持っています。

 

そうなると、人間を人間たらしめている「人間性」は実は生物の持つ能力では稀有なものであると言えます。「人間性」は普通の生物は持ちえない能力です。

これから「人間性は、人間の生物ではない部分を言う」とされるのです。

 

この「人間性」、調べると「人間特有の本性」であるとされます。

ではこの「本性」とは何か?「本性」とはすなわち「利己的な自分」です。

ですが、人間はその利己的な自分を押しとどめて他己的な理性のベールを纏って「人間性」を獲得します。

矛盾しているようですが、これより、人間性に隠された「本性」とは、利己的な自分を押し殺してなされた「偽善」である、と解釈できます。

つまり、「人間性」を持ち人間として行動していく以上、そこに「偽善」が含まれるということになります。

 

ですから「偽善をやめたいなら人間をやめるしかない」となります。これが今日の講義の結論です。

 

途中人の解釈によりけりな部分もありますが、全体的に納得できます。豊かな人間性を持つとはそれだけ利己的な自分をコントロールし、他己的な「偽善」も豊かであるということは理解できます。

「偽善は悪いことではない。というより偽善がなかったら人間でないから偽善があるのは仕方がない。」という結論に達することは、以前記事にした「しない善よりする偽善」という考えに繋がり大いに賛成します。

 

「人間性」は嫌うべきことである「偽善」を含むから悪いものであると見るか、「偽善」は敬愛すべきことである「人間性」を形成するからあって良いものと見るか。

見解が分かれるところだとは思いますが、僕は断然後者派です。