Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

何をするにも「納得する」というプロセスが必要

昔から周りの人たちや大人たちから、「こうしたらいいよ」というアドバイスを常々受けてきました。

けれど、それを振り返ると全部が全部その通りでは無かったです。

特に、自分で納得できていないけれど周りが熱心に説得するので仕方なく信じて言う事を聞いてきたことでは、ただの一度もいい思いをしたことがなかったですね。

 

小さい頃「努力するものに栄光あり」と教えられてきました。頑張ったものに勝利の女神は微笑むのだ、と。けれど、内心納得はしませんでした。本当にそうなんだろうかといつも思っていました。

それでも大人は「頑張れば勝てるようになるんだから、いいからやってみな」ととにかくやらせるものですから、「大人が言うならそうなんだろう」と言い聞かせて努力を続けてきました。

その思いをずっと信じて挑んだ中高の野球部の夏はすべて初戦負けでした。

 

「いいことをすれば人はちゃんと見てくれるよ」と言われ、人の見ていないところでもごみ拾いしたり机をきれいにしたり、とにかく真面目に優しく振る舞う生活を送った高校生活、蓋を開けてみればちゃらんぽらんで先生の前でだけ良い振る舞いを見せていた奴の方が先生との距離はぐっと近かったと思います。

 

 

自分が納得もしていないのに仕方なく取り組んできたことは、自分の経験上必ずどこかで裏切られるのです。結果、「ほれ見たことか。やっぱり嘘じゃないか」と自分の懸念していたことが現実となるのです。

 

ですから、今の僕は何をするにしても「納得する」というプロセスが必要なんですね。

いくら多くの人が言ってることでも、自分の中で消化できずに蟠りが残るようなことには踏み出せないのです。

 

恋愛は「動いてみたら意識変わるよ」と言うけれども、自分の中で「好き=付き合う」がどうしても繋がらなかったり付き合った途端にほかの異性とは付き合いが鈍ることになるのがどうしても腑に落ちなかったり、他にも色々納得できない部分があるので、たとえ事実そうなんだとしてもどうしても動くことができません。

 

 

僕にとって「やればできる」とか「動いてみれば世界が変わる」というのは、それだけではなんら説得力をもつアドバイスには聞こえないのです。

そこに僕を「納得させる」何かがないと、どうしても踏み出す勇気が持てません。

考えて考えて考えて、自分の中で一本の線につながって初めて「よしやろう!」と言う気持ちが芽生えるのです。

 

自分でも面倒くさいと思います。うだうだ考えてないでやってみりゃいいじゃん、と自分でも思います。

でも僕の生きてきた21年間で造られたものは「考えずにはいられない自分」なんです。

 

考えるより先に行動できる人は羨ましく思います。自分もあんなんだったらいいのになあといつも思います。

ですが、「考える自分」を「考えない自分」にしようと考えても、そこで納得するものが得られてないのが現状です。まあ考えないことを考えている時点でそりゃそうだろという話ですが、そのプロセスは今の僕には避けては通れないプロセスです。

 

変わりたい自分がいる。でも変わりたくない、変わるのが怖い自分がいる。

そんな自分を「納得させる」なにかを、最近は常に探しています。