Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

「もっと楽に考えればいい」と言われると、自分の悩んできたことは全て無駄だと言われているように感じる。

悩んでいる人、考え込んでいる人に周りの人はよくこういう言葉をかけます。

「そんなに考えなくてもいいよ」って。

「あなたは考えすぎなんだよ。もっと軽く考えれば楽になるんじゃない?」

そう言って複雑に絡んだ思考を解こうとしてくれます。

 

けれど、そう言われると僕は、「それって自分が今まで考えてきたことが全て無駄だったということみたいじゃないか」と思ってしまうのです。

 

今まで色々悩んで考えていたことを考えないようにするということは、悩みを悩みと見做さなくなるということです。決して悩みが解決する訳ではありません。

「お前が考えていたことは考える必要のないことだったんだ」と悩み自体を消し去ろうとするその言動からは「お前が考えていたことはすべて無駄だったんだ」という自分へのアンチセンスが感じられます。

 

悩みがなくなるんですから、傍から見れば悩みが解決された気になるでしょう。でも、当の本人からすれば臭いものに蓋をしただけ。臭いものはまだそこにあるのです。

道端に捨てられていたので拾って来た子犬を「元いた場所に返してきなさい」といって戻したところで根本的解決には至らないことと同じです。ある日ポンと生まれた悩みを「考えないでいい」と押し戻したところで解決なんぞしないのです。

 

そういう人は本当にちゃんと相手の悩んでいることについて考えているでしょうか。

「悩み」を解決しようとするなら「悩み」にスポットを当てるのは当然ではないですか?

それなのに「考えなくていい」と人の「悩み」自体をなくそうとするなんて、解決とは真逆のことをしていると思います。

 

なぜ「私も一緒に考えよう」と言ってくれない。

なぜ「考えるのは大変だったね」と共感してくれない。

どうして「お前は悩む必要なんかない」という言葉が出る。

どうして悩みと言うものから目を背けようとする。

 

「考えなければ楽になるよ」と言っておいて、楽になるのはあんたなんだろ、と憤慨します。

 

 

悩んでいる人と一緒に悩んでくれる人は少ないです。

けれど本当に相手の悩みをなくそうとすると一緒に悩むことは絶対条件であると思います。

 

一緒に考えて考えて考えて、悩んで悩んで悩んで、「もうお手上げー!」ってなるまでとことん付き合う。

そんな覚悟もないのに軽はずみに「考えなくてもいいよ」なんて言われたところで嬉しくもなんともないです。まさに余計なお世話、ありがた迷惑です。

 

「考えなくてもいい」というアドバイスは助言の中でも最底辺です。軽率の極みです。

それなのに多くの人が「もっと楽に考えてみろよ」と言う。

考えないでいられたらどんなに楽か。その人たちは全く分かっていません。

 

大事なのは、人の悩みを聞くときは相手の悩みを「悩み」として真摯に受け止める。そして、その「悩み」についてとことん寄り添い付き添って考えてあげる。

それができて初めて悩みは「解決」に繋がると思います。