Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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一部の人が道理に反することをしたからといって、そのコミュニティー全体が道理に反しているという認識は改めたい

集団のイメージが個人一人の行動から決められることが多くあります。

 

ある高校の生徒が万引きをしたら、その学校全体が不良学校だとみなされる。

チームのとある選手が八百長をしたら、チームぐるみで八百長をしたと疑われる。

一人の取った行動で、その集団の印象がガラッと変わったりします。

 

個人には集団の色が滲み出るものですから、一人の色が集団の色を変えることがあるのも考えるに難くはないでしょう。

しかし、これらの印象付けは一人の行動が「よくないこと」であるときが大半であるのが不思議なところです。

 

連日話題に上るイスラム国の事件において、一部のイスラム国の人が報道のような過激な行動をとると、イスラム国全体がそういうものだという認識が構築されてしまったように思います。一部のイスラム国の人が痛ましい事件を起こした結果、イスラム国は恐ろしいというイメージが定着してしまいました。

ですが、イスラム国の人が本来のイスラム国はこういうものだと示すためホームレスの人に炊き出しを提供したという記事がありましたが、それを受けてイスラム国は良い集団だという認識には程遠い現状であると思います。一部のイスラム国の人が心優しい行動をしても、イスラム国は恐ろしいというイメージは払拭できないままでいます。

 

一部の人が善い行いをしたところで、集団のイメージがよくなるなんてのはあまり聞かないです。

ある高校の生徒が自主的に地域のごみ拾いをした。でも、その高校全体が、そういう優しい生徒ばかりだという印象を持たれるかと言うとそうではないみたいです。この生徒も、あの生徒も、いろんな生徒が動いて初めてその高校全体のイメージが良いイメージへと変わります。

 

悪いイメージにしようとすると一人が悪事をすればいいけれど、善いイメージにしようとすると何人もの人手をかけて善行をしなければならない。不思議です。

 

人間は元来、他人の悪いところばかり目につくようなものですから、集団を悪い方向へと捉えやすいのは仕方のないことかもしれません。

しかし、他人を悪く見てばかりいることは気持ちのいいものではありません。僕らには理性と言うものがありますからその理性を使って、一人の善い人を見つけたら全体が善い集団であると見做せないものかと思います。

 

悪事を働く人のいる集団でも心優しき人がいることも重々あるのですから、一部の人が道理に反したからといってそのコミュニティー全体が道理に反しているという認識に走るのは改めたいところであります。