人に声をかけられる事はとてつもなく嬉しい事
突然ですが声をかけられるって嬉しいことだなあと思いました。
いつもは人と話すとき、僕の方から気が付いて挨拶をして会話に入るのですけど、今日は例えば歩いていたら後ろから声をかけられたとか、立ち読みしていたら視界に入ってきたとか、相手の方から近寄ってきてくれることが多くありました。
これってすごく嬉しいことだと思いません?だってそれは、「相手の世界の中に僕がいた」ということですから。
言わずもがな視界に入らなければ声のかけようがないです。ですが視界に入った人間ならば必ずしも声をかけるわけではありません。声をかける人は、視界に入った者が自分と話すに値する人物だと認めるからこそ話しかけるのです。
自分に話しかけてくれるということは相手の中で「貴方と話すと楽しい」と思ってくれているということですから、それは頗る嬉しいことです。相手が自分を認めてくれるということがはっきりと分かります。
他人の世界の中に自分がいることは、人間の欲求の中でもかなり高い位置にあります。マズローの5段階欲求のなかでも2番目に高い「承認欲求(尊厳欲求)」に当てはまります。(最高位は自己実現欲求)
他人が自分に話しかけてくれる瞬間は、まさにこの承認欲求が満たされる瞬間なのです。
別にはっきりと「お前はよくやってくれる人だよ」と相手を認めなくとも、ただ話かけるだけでそれは十分満たされます。
だから、僕は積極的に知っている人が居たら自分から話しかけに行っています。相手より先に僕が相手を見つけて僕から話しかけてあげよう、と。顔を上げて視界に知っている人あらば、すぐさま僕から声をかけるというのが僕の普通です。
そのため、いつも声をかけるのは僕なんですよね。相手の方から声をかけられるということはほとんどない。
でも今日しみじみと感じました。「やっぱり話しかけられる方が嬉しい」って。
自分から声をかけて相手と話すのももちろん楽しい。けれど、相手から声をかけてくれるともっと楽しい。それをひしひしと感じました。
何事も「してあげる」より「してもらう」方が嬉しい。そんな当たり前の感情を抑圧して、「してあげる」ほうだって「してもらう」のと同じくらい嬉しいはずだと思って人に奉仕してばかりだったのが僕です。
でもやっぱり本音は「してもらう」方が嬉しいと今日の出来事で気づきました。
「してもらう」ばかりではいけないけれど「してあげる」ばかりもしんどい。でも「してもらう」ことは自分ではコントロールできない。
だからこそ、いつも自分に声をかけてくれる人がたくさんいる人は、自分は幸せ者だと感じてほしいなと思いました。