ここには「ない」からこそ存在意義があるもの
世の中の事象には、ここには「ない」からこそ存在意義があるものが多くあります。
例えば「真空」。
分子も何もない空間のことを「真空」と言いますが、言わずもがな、分子がないからこそ「真空」と言えます。何もない空間がそこにはあるんです。
例えば「噂」。
根も葉もない虚言が広まったものを「噂」と言いますが、それは「真実でない」からこそ「噂」となりうるのであって、真実だとしたら「噂」ではなくただのゴシップです。
例えば「夢」。
いくら手を伸ばしてもなかなか距離が縮まらない崇高なゴール。それが夢です。
ちょっと頑張るだけで簡単に手に入るようなら、それは「夢」とは呼びませんよね。
「夢」は、すぐ傍にはあってはいけない。そこにはないからこそ「夢」は「夢」となりうるのです。
これは非常に面白いです。
「ない」ものが「ある」なんて、もっといえば「ない」からこそ「ある」なんて、それらの言葉・概念を作った人間の感性にはほとほと感心してしまいます。
頭を巡らせて「ないこと」から世界が構築されたさまには、人間の心の神秘も感じます。おっと、「心」も目には見えないのにあるものですね。
人間の世界の面白さの真髄はここにあると思います。
動物は目にしたものだけがある。そこになかったらこの世界のどこにもない。そんな感覚だそうです。
人間は世界を目にするだけじゃなく、耳で聞いて、肌で感じて、心で思って、それらをすべて総合して新たな世界を作り出すことができる生き物です。
「あるもの」も「ないもの」も素直に受け止められるのは、人間の度量の深さといいますか、懐の深さと言いますか、うまく言い表せないけれど感慨深いものがあります。