Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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「話を聞いて」と言われたら、全身全霊で相手の話を受け止めてあげましょう

レオ・バスカリア著、草柳大蔵訳の「愛するということ 愛されるということ」という本の中に次の詩が紹介されていました。

 

 

「話を聞いて」といっているのに、あなたはすぐに忠告しようとする

なぜ私のいうとおりにしてくれないの

「話を聞いて」といっているのに、あなたはすぐにお説教をはじめる

なぜ私の心をふみつけるの

「話を聞いて」といっているのに、すぐに私の問題に首をつっこんでくる

私はがっかりしてしまったわ

だから、きっと祈りが役に立つのでしょうね

神様は何もおっしゃらないから

忠告なさったり問題に首をつっこんだりなさらないから

神様はだまって耳を傾けられ、私たちに問題の解決をまかせてくださる

だからお願い、静かに私の話を聞いて

ほんの少し待ってくれたら、あなたの話を聞いてあげるから

 

 

これを読んで、思わず「うわぁ」と感嘆の声を上げてしまいました。

 

周りには人の話を聞かない人のどれだけ多い事か。

「話を聞いて」と言っているのに、聞くことよりもアドバイスすることが思考のメインになっている人のどれだけわんさかいることか。

自分の手で相手を変えてやろうと意気込んでいる人のなんと膨大なことか。

聞いてほしいときは意見なんて二の次で、まずは黙って傾聴してほしいものなんですよ。

 

その点神様は決して忠告はしません。話した自分自身で解決した気になっています。

話しかけないでいてくれるからこそありがたい。こんな存在ってありますか?

神様は存在するかどうかの議論が度々なされますが、存在しようがしまいが私たちに与える影響はと言えば変わらず「尊大にして私たちを見守ってくれる心の拠り所」であるのが神様です。

「祈る」という行為は、実際に神様に願いを叶えてもらおうとするものではなく、ただ自分の願いを誰とも知れぬ者に向かってぶつけることで、それを確固たるものにしようとするものなのですね。

 

賛同も忠告も共感も反論もせず、ただ黙って耳を傾けて受け入れてくれる存在。これを求めて、人々は神様や仏様といった偶像を作り上げたのでしょうね。

 

 

それだけ「聞いてくれる存在」というのは大きなものです。

「聞く」ということは何もしていないようでいて、実は相手を絶大な安心感、自己肯定感、受容感、満足感に包んでいるものです。

それだけ「聞く」ことの力は大きいです。

 

大事なのは鋭い意見よりも柔和な傾聴です。

自分の意見をズバッと言えることも大切ですが、それは企画会議などの場であります。個人個人のコミュニケーションにおいてはそれをグッと堪え、まずは話をたっぷりと聞いてあげることが必要です。

 

「話を聞いて」と言われたら、全身全霊で相手の話を受け止めてあげましょう。