Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

羨ましいと思ったことは自分がやりたいと思ったこと

先日、実家に帰った時に「LINEで何気ないやり取りをすることは羨ましいとは思うんだけど、いざ自分がやろうとするとメンドクサイんだよ」といった内容の話をしていて、「それってそういう何気ないやり取りを本当はしたいってことじゃないの?」と言われました。

 

抵抗感なく気軽に「今日暇ー?」とか言えたらいいなあという羨望は持ちつつ、実際やるとなるといちいち返事するのも面倒だし相手のこと気遣わなきゃいけないから嫌だ。だから羨ましいからってそれが自分がやりたいことであるわけではないだろう。

そう思っていました。

 

けれどそれは突き詰めれば自分がやりたいことなんだろと気付かされました。

LINEに抵抗感がないという条件のもと、自分も気軽にLINEしたいなと思っている。それはつまり条件付きではあるが自分もLINEを気軽にしたいということにつながっている。だから、あなたの本心は「LINEはめんどくさいからやりたくない」じゃなくて、「めんどくさいけどLINEをやりたい」なんだろう。

確かにこれは一理あるなと思いました。

 

今までは「自分もこうなってこういうことをしたいなあ」といった羨望の「こうなって」の部分に固執して、それと自分との差異を受けて「こうなっていない自分は決して望んでいない」と思い込んでいました。すなわち羨ましいと思っていたこととやりたいと思う事とは全くの別物であると思っていました。

説明がややこしいですね。すみません。

先の例で言うとLINEに抵抗感のある僕にとって、「LINEに抵抗感がない」という前提を全くの夢物語のように捉えていたからこそ、その先の「LINEでコミュニケーションを取る」ということは「前提をクリアしていない=本心ではない」と思っていました。

全く分かりやすくなってないですね。すみません。

 

しかし、条件さえ整えば自分もLINEをやりたいなあと思っている時点で、自分がやりたいと思っているじゃないかと気づかされたのです。

 

お前は「~だから」という前提条件に平伏してしまっているだけで、本心はその条件を飛び越えた先に行きたいのだろう?

はい、確かにそうです。ごもっともでした。

 

要は「LINEに抵抗感がある」ということを言い訳にしてLINEでのコミュニケーションを諦めていたんですね。

しかし、本当のところはやっぱりコミュニケーションを取りたい自分がいたという事です。

 

 

「羨ましいと思ったことはやりたいことと何ら変わらない。ただ一つ、自分の境遇とその対象がかけ離れているだけ。」そう思いました。

ですから、これからは「〇〇はいいなあ」と思ったことは全て自分がなりたいもの/やりたいことなんじゃないのか?という目線で過ごしたいと思います。そうすれば、自分のやりたいことなんて山ほど出てくる、そんな風に思います。

 

今日はひたすらややこしい文章でしたね。伝えるって難しい。