Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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個性を伸ばす教育か、社会規範を身に付ける教育か

教育の面において、道徳に従って周りに合わせた振る舞いをすることと個性を尊重し集団にとらわれない振る舞いをすることで、どちらを重視すべきしばしば論争が起こります。

集団に合わせる派の人は個性ばかりでは集団の秩序が保てなくなると主張し、個性を尊重派の人は集団に束縛されていては自由が保障されないと言い張ります。

 

僕は、どちらかと言えば集団の秩序を守る側に賛成です。

「どちらかと言えば」と言った理由は、そもそも個性と秩序はあちらを立てればこちらがたずの関係ではないような気がするからです。あくまで個性と秩序は相乗効果をもたらすであると言っていいと僕は思っていて、その意味では個性と秩序が真っ向から対立した状況でははっきりと一方に与することはできないと考えます。しかし、どちらが先に達成すべきかという観点においては、秩序を保つための社会規範の教授が必要と考えるのです。

 

個性とは言ってしまえば「集団における最低限度のルールやマナーを満たした上で、集団のセオリーから逸脱した能力や性質」であると思っています。集団内で共通して持っているとされるものが予め全員の共通認識としてあり、それ以外で他人とどこか違うもの。それが個性であると思います。

単に他人と違うことが個性ではありません。よく寝坊して遅刻してくる人について、それを個性とは言い難いです。

 

つまり、個性は社会規範があってこそ見出されるものであると言えると思います。

自分特有の能力や性質を持っていても、そこに社会規範という共通認識がなければ、その集団はただ乱雑に能力や性質が飛び交っているだけです。

人は他人を評価するときは必ず何かの基準と比較・照合して評価を決めます。個性も同じように基準となる共通認識があってそれに照らし合わせて光るものを見出します。その基準となるのが社会規範というわけです。

 

そこで、まずは社会規範を教え、集団の中の一員としての態度を身に付けてから「さあこの子はこんないいところがあるね!」と個性やその子特有の想像力や発想力を培っていくのが良いと考えます。

 

個性が社会規範を満たした上にある以上、端から「個性を個性を」と自由を求めさせていては、いざ社会規範に従うべき時が来たときに簡単には教えられないと思います。社会規範⇒個性の流れは不可逆的とまではいいませんが逆らって教授することは難しいのではないかと思います。

 

人間は必ず幾許かの束縛や不自由があってこそ、幸福感や利益、成長を得られたと感じるものです。その不自由を基準とし、それと比較することで自由と感じ、想像力や発想力が得られ、個性が個性と認識されるのです。

 

ですから教育の順番として、まず構築すべきは集団の規律を守り、空気を読んで周りに合わせる規範意識であり、その次に一人一人の個性を今までの規範と照らし合わせて見出し、引き出していくのがよいと考えます。

こうした理由で、個性派か秩序派かと聞かれれば秩序派と答えます。

 

個性も社会の秩序を守ることもどちらも大切なのでどちらが良いかという議論は大変難しいですが、だからといって「どちらをすべきかなんて決められることではない」と投げ出すのはどうかと思います。

逆にこういった正解のない議題こそ、より理想に近づけるにはどうしたらよいかを吟味検討していくべきだと思いますし、そうして深めていくのは面白いと思います。