Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

「親だから」と立場を引き合いに出す人は、親という立場に囚われているだけ。

「なんでそんなに心配ばっかするの??」と訊くと「親だから」って答える親は多くいると思いますが、その背景には親じゃなかったら心配はしないという意思が見え隠れしてなりません。

親は子どものことを心配するものだという先入観にとらわれているだけで本心から子どもを心配しているかどうかは甚だ疑問なんです。

多分当人(親)は本心で心配していると思っているのでしょうけど、どうも「本心から」というより「親という立場から」の心配だと思ってしまうですね。

 

友達に同じことを訊いて「友達だから」と返されても、それは全然嬉しいです。なぜなら友達関係は切ろうと思えば切れるわけだから。

お互いに「こいつとは仲良くしたい。力になってあげたい」と思って結ばれた関係が友達関係だであるから、「友達だから心配する」という流れは理屈として通ります。

 

けれど、親子関係は切っても切り離せません。子どもが生まれた瞬間に自動的に「親子」というレッテルが張られるわけです。そしてそのレッテルは永遠にはがれたり変わったりすることはありません。

だからこそ、親という立場を引き合いに出して心配していると言われても、ちっとも嬉しくないのです。

「お前が勝手に一方的に俺をこの世に生み出したから、その責任を持たなきゃいけないと思って心配するんだろ!?別に同じ状況で他人の子どもだったらそこまで心配なんてしないんだろ!?だったらそんな心配なんていらねーよ!!」

こんな受け止め方をしてしまいます。ねじまがってますね笑

 

僕の受け止め方もどうかと思いますが、親という立場を気にしすぎる親が少なくないのは事実だと思います。

「親」とはこうあるべきだ。「親」は子どもを愛するのが当たり前だ。

こういう前提を大事にしすぎて肝心の「子ども自体をどう思っているか」がおろそかになっているのでしょう。そうでなきゃ「なんでそんなにお節介ばかりするの?」と訊かれて「親だから」とは答えません。「どうもこうもとにかくあなたが心配だから」と答えるはずです。

 

思春期に親が鬱陶しく思えるのはこういう雰囲気に感じ取ってしまうことが一つの理由として挙げられるのではと思います。親からすれば「私は本心から心配してるのに」なんて思っても受け手がそう思わないのなら意味がないです。

「なんであの子は私のいうことを聞いてくれないの??こんなに私はあの子のことを考えてるのに」と思う親は、もしかしたら自分の心の根底に「親としての責任」が根付いているのではないかと自問してほしいと思います。

 

「親だから~」なんていう人は自分が親であることに酔っているのではないか。「親」という甘美な響きに囚われて、勝手な理想を子どもに向けているのではないか。

子どもそのものよりも世間体とか常識とかを大事にしているのではないか。

だから親は鬱陶しい。

世の中の「親」というものを見聞きしていると、そう思ってしまいます。

 

僕は好意の押し付けが大嫌いですが、親という存在はこの世で一番好意を押し付けてくる存在だと思っています。まあ自分の家庭だけではなくね。

(親などの)立場を引き合いに出して弁解をするのは、自分がその立場に固執しているということを知らず知らずの内に認めてしまっているからだと思います。

そういう親が減って、立場とか関係なく心配をしてくれる、そしてそれがちゃんと子どもに伝わっている、そういった親が増えればいいなと思います。