Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

我が儘の通し方や駄々の捏ね方が分からない

僕は我が儘の通し方や駄々の捏ね方が分からない。

元々の性格からそうだが、長男という立場上弟や妹の我が儘な態度やそれに迷惑する母親の姿を見て、「他人の気持ちを察しながら自分の行動を決めなければいけない」と自覚して、常に他人の動向を窺いながら自分の態度を決めてきた。

だから僕は我が儘を一回も行ったことがない。「あれ買ってー」などとごねたこともない。

 

そのため、自分の気持ちに正直になろうと決めたのはいいが、次は自分の気持ちをどうやって通そうかという壁にぶち当たってしまった。

 

自分は人とは好みや価値観・考え方が大きく異なる。だから自分の気持ちを通そうとするなら、他人との齟齬を認めながらも激しく自分のそれを主張するということを避けては通れない。

けれど、その方法が分からないものだから、否定されることを恐れて最初から身を引いたり、自分が折れて他人のやりたいことに甘んじたりする。

 

成長過程で”我が儘”というのは必須科目であると思う。自分の子供に「我が儘はパパたちの迷惑になるだろうな」と思わせるような教育はいけない。親は安心して我が儘が言える、駄々を捏ねられる存在であるべきなのだ。そうでないと、子供はいつ自分の本音を打ち明ければよいのかと行き止まりにたどり着く。

 

日本では「人に迷惑をかけるのはいけません」と教えるが、インドでは「人は他人様に迷惑をかけて生きるものであるから他人の迷惑も許してあげなさい」と教える。これを聞いたとき、ひどく胸を打たれた。

人への迷惑のかけ方を教えることなしに、社会を生きる人間を育成することは難しいのではないか。規範ばかり大事にしていては、社会という集団の歯車、あるいは周囲の人たちの操り人形に成り下がってしまう。

 

家庭で社会規範を教えるのもいいが、それは社会や学校という場でもできる。

しかし、我が儘を言える場所とか、問答無用で安心できる場所というと家庭しかない。家庭教育の必要性の根本は家庭でしか身に付けられない、感じられないものがあるということである。これを実現させることは家庭、つまり親の重大な責務である。

 

本来一番我が儘を言える存在であるはずの家族に我が儘を言えないというのは何とも残念なことだと思う。しかし、そういう人間になってしまったのは仕方ない。勇気を振り絞って自分のしたいことが押し通せるように意図的に取り組んでいかなければ、自分の人間としての居場所が確保できなくなる。

幸い、周りには僕の価値観を受け入れてくれる人はいる。その人たちの協力を得て、人への甘え方を身に付けたいと思う。

 

僕だって人に甘えたいと思っているのだ。