Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

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手放しで親に感謝できない

最近、親と子供の関係についてよく考えます。

就活を始め、今まで僕を養ってくれた恩に報えるような結果を残さなければならないとプレッシャーを感じながらの日々を過ごしている中、どうも親の柵にとらわれながら生きているような窮屈な感じが最近してきました。

 

「今まで必死に育ててくれた親には感謝しなければならないよ」なんて周りの大人たちは声を揃えて言います。

確かにそうです。ここまで生きてこれたのは親のおかげであることは間違いありません。その点は感謝しなければいけないでしょう。

 

でも、僕はそこにちょっとした違和感を感じるんです。それは「親とは感謝されるべきものである」という前提、「親には感謝しなければいけない」という強迫観念が私たちを強く縛りつけている気がするということです。

親がいないと私たちは生きていけない。その事実だけに基づいて、親に感謝することは子供の義務だとでもいうような風潮をどことなく感じてしまうのです。

そこから生まれる感謝はどこか虚しく感じます。

 

話は少し変わりますが、よくこういうことが言われます。

「親が自分を育ててくれることを当たり前と思ってはいけないよ」って。

自分を気にかけてくれる大人がいない人だっていくらでもいるんだから、養ってくれる親がいることは当然のこととは言えない。だからそれに応えないといけないよね。なんて教鞭を垂れる人は多いです。

 

けれど僕に言わせれば、親が子どもを大切にするのは当たり前のことです。

だってそうでしょう?親は子供を自らの意思で作ったんですから。

別に道端で泣いていた子に憐れみを覚えて連れてきたとか、可愛いこの子と一緒に過ごしたいと思って家族の一員にしたとかではないでしょう?

生んだ子供は自分たちが育てないと生きていけないということは当然承知の上でこの世にあえて命を産み落としたわけですよね。

だったら、親が子どもにお金をかける、愛情を与えるのは至極当たり前のことです。

ですから、当たり前のことを当たり前と思うことはあってもいいと思うんです。子どもの側からすれば「親は自分のために色々齷齪してくれるのは、それが普通だろ」と思えばいい。というかそう思える家庭であってほしいと思うわけです。

 

こういう前提があるので、手放しに親に感謝するという気持ちにはなれないのです。感謝してはいるけど、ここまで育ててくれたことに感謝しないと人として小さいなって思うから無理やり感謝しているという感じです。

 

結局は親に負い目を感じるんです。

親ががんばれって言っているからその期待には応えないといけない。

親がイライラしていても自分にはどうしようもないから素直に言うこと聞くしかない。

好きなもの選んでいいよと言われても普段からお金をかけてもらっているから子供ながらに我慢する。

そうして行動原理がすべて「自分がこうすれば親はこう思うだろう」になったのが僕です。

親を喜ばせないといけない。親に負担をかけないようにしないといけない。親に迷惑はかけてはいけない。

そういって親に養われる立場を弁えて青少年時代を過ごしてきたなあと思うのです。

 

親が「欲しい」と思って子どもを産んだのだから立場的に子供の方が上に立ってもいいくらいなのに、どちらかというと親の方が立場が上だと感じます。勝手に産んでおいて「感謝しろよ」なんてちょっとおかしいですよ。まあそこまで言ってないですけど、そういう風潮が感じられるということです。

 

親とは子供に感謝されてはいけないと思うんですよね。少なくとも子供のうちは。

子どもは親と接するときは徹底的に利己的であるべきです。ペットが「ご主人様の機嫌をよくしないと」なんて寄り添ってきても嬉しくもなんともないでしょう?自由奔放な彼らだからこそ頭をすりすりされるとキュンと来るのでしょう。

感謝しなければと思ってする感謝は何の価値もないです。親には感謝しなければいけないなんて思っている人は、感謝されても形式的な感謝しかもらえません。コンビニで店員に「ありがとうございました」と言ってもらうようなものです。それを自ら望んでいるようなものですから、愚弄としか言えない気がします。

 

とまあ、悪態つきましたけれども自分が親になればまた違った感覚になるのでしょうか。自分には程遠い話ですから想像できませんけれど。

 

我が儘、甘え、反抗、駄々、反感・・・

これらが受け入れられ、窘められて初めて感謝は生まれるはずなのに、それを経ずに期待に応えることばかり考えて先走ってきたものですから、自分を渦巻く親への感情の正体がつかめないでいます。

 

親が心配していろいろ声をかけてくれることはありがたいけれど、そのせいで自分の今までの懐疑的で不満足な成長過程を痛感するから、その声は鬱陶しい。まさに有難迷惑。

 

親の気持ちなんて自分は親じゃないんだから分かりっこない。でもこの年になると気持ちは汲んでやらねばならない。でも親のために汲み取るのはなんか嫌。心からありがとうとか思えない。そこで葛藤があるわけです。

 

本来こういうことは中学高校の反抗期のときに乗り越えるものなのでしょうけど、反抗期なんてなかったものですから非常にめんどくさいです。

つくづく、普通の人とは違う育ち方をしてしまったものだなあと思います。

でもなってしまったものは仕方ない。どうやって現実・常識・自分の気持ち・自分の理論などを折り合いつけようか模索中です。

みんなみたいにまっすぐに親に感謝できればよかったとは思うのですが、難しい話です。

 

※そういえば今日は母の日でしたね。記事を書いている最中に気が付きました。全然そんなこと頭になかったです。