Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

そこそこ幸せだからこそ泣き言を言えないというのは哀しい

自分の人生を顧みると、自分はそこそこ幸せな人生を送っているのだろうと思います。

親が他界する、虐待を受ける、犯罪に巻き込まれる、ガンを宣告される、といった憐れまれるような出来事もなく、ごくごく平凡で裕福とは言えないながらも健康に平和に日々を過ごせています。

 

しかしだからこそ、僕たちは泣き言を大っぴらには言えない現実があります。

 

不満や欺瞞、猜疑心や狼狽心など負の感情が湧いて出てきてもそれを表に出すことはできない。なぜなら、大人たちは「親が仕事で学校から帰ってきても一人ぼっちの子がいるなんて寂しいわねえ。その点私たちは家族一緒だし幸せに思わなきゃね」と境遇の違いを引き合いに出して、「幸せな私たちは幸せに思わなければいけない」と暗に示して来るからです。

「辛いっていうけど、世の中にはもっと辛い思いしている人はいるんだから」と大体の泣き言は一蹴されます。

不幸のどん底にいるなら何を叫んでもいいけれど、幸せ者が贅沢言うな。こういった無言の圧力を大人たちから感じてきたんです。

だから、辛いことがあったらいつも「自分よりも大変な人はいるんだから我慢しなきゃ」と自分を抑制してきました。

 

とはいってもやっぱり泣き言を言いたいときはあります。自分より幸せな人を肴に愚痴をこぼしたいです。

でも自分に蓄積された大人たちの教えが歯止めをかける。

面倒くさい、つらい、だるい、もう嫌・・・。そんなこと言うのは本当にどん底で頑張っている人たちに失礼なんじゃないかって。

 

不満のはけ口を見つける術を教わってこなかった自分は、ダムのように不満を募らせるばかり。いつか決壊しそうで怖いです。

不満は吐けばいい。自分が幸せだろうがなんだろうが、嫌だと思ったんなら嫌だと言えばいい。それは感情。でも理性がまだ少し邪魔をして、自分を我慢せしめています。

 

そもそも、不満は不幸だから言っていいとか幸せだから言うと失礼とかいう問題じゃないです。

むしろ極論、不満を吐き出せるから幸せで、吐き出せないから不幸です。ベクトルが逆です。

 

日本人は特に自分の立場に責任を持つことを強いられます。

一家の大黒柱はどんと構える。

総理大臣秘書は必要以上に前に出ない。

アルバイトは社員に口出ししない。

そういった暗黙の了解が蔓延している気がします。

同じように、幸せ者は不満を言うと利己的だと思われる。幸せ者は幸せ者なりの立場を弁えて、節度ある行動をとりなさいという視線を感じる。

 

でもそれって窮屈すぎますし、本質を見逃すことが往々にしてありそうです。そこ大事にするところか!?なんてところに拘っていると大事なものを見落とします。

 

より良い幸せを求めるのは万人の権利。今幸せか不幸せかなんて関係ない。

立場に囚われず泣き言は言えばいい。それで、心を晴らしてまた明日頑張ればいい。

誰もが素直に泣き言を言える。そんな環境を創れればいいと思うのです。