Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

「時間が経てば~」と言われても時間が経っていない現状では時間が経ったときのことは想像できないもの。

「思い出は時間が経てば、当時からしたら嫌な思い出でも愛おしく思えてくるもんなんだよ」と人生の先輩は口を揃えて言います。

でも、今僕は4年なのですが、高校卒業から3年半経った今高校時代は懐かしいものではありますが懐かしむものではありません。

それは思い返すほどの思い出がそもそもないからなのか、3年半と言う月日が思い出が円熟する期間にしては短すぎるのかはわかりません。ただ、一つ言えることが「高校時代の思い出ほしいなあ」と思っている今の自分がいるということです。

 

時間が経てば高校時代の出来事が思い出として浮かび上がってくるのかもしれないけれど、「時間が経てば~」と言われても今の僕には想像が付きません。

なぜなら、今の僕は「時間が経った僕」ではないからです。「時間の経っていない僕」に「時間が経った時」の話をしても想像できるはずがありません。当然ですね。

文章としては理解していてもそのときの場面や心情が想像できないこと、思えばたくさんないですか?

 

大人たちはそれでも一辺倒に「時間が経てばこうだから」と言ってきます。

こういうセリフには「なんか説得力ないな」と思いながら大人の言うことだからと聞き入れてきましたが、それは将来のことを言っているからではなく、相手の立場を踏まえた説得になっていないからなのだと思いました。

つまり、「教える人はそれを知らない人に教えている」という前提が蔑ろにされているのではないかということです。

 

勉強ならば、「ここの範囲はまだやっていないからわからないだろうけど、この問題ならできるんじゃないか?」と教えていくことが普通です。何も気にせず皆こうしていると思います。

けれど、これが概念とか心情とか結果論になってくると、「この結果は経験したことないからまだ気持ちはわからないだろうけど、このときの気持ちなら分かるんじゃないか?」という思考回路には入らず、「この結果が出るとこういう気持ちになるんだよ」とすっ飛ばして伝えるようになる場合が多いのではないかなと思います。

 

しかし、これでは自分の思っていることの100%は伝わりませんよ。せいぜい40%くらいですよ。

「時間が経ったら思い出は愛おしくなる」と言われても時間が経ってない僕にとっては時間が経ったときのことが想像できない。

「もっと努力を続けたらお前はスターになれる」と言われても努力をし始めたばかりの僕にとっては努力を続けた先の自分の姿が実感としては湧かない。

こういうものです。ですから「努力すればこうなると言うのだからとりあえずこうしてみるか」と見方によっては半ば妥協したような行動動機になるのです。

 

そこまで考えて「こうすればこうなる」と教えている人はいるでしょうか。

自分の経験したことを伝える相手は経験したことがない人だと気付いている人はどれくらいいるでしょうか。

 

だからと言って努力した先の実感を鮮明にイメージさせることは非常に困難です。なぜなら、それは結果論だから。結果が出てみないと「これはこうだ」とは言えないからです。

時間が経っても思い出が芽生えないなら「まだ時間が経ってないんだよ」と言われ。精いっぱい努力したつもりでも結果が出ないなら「まだ努力が足りないんだよ」と窘められる。結果が出ない限り延々と「まだ?」「まだ」が繰り返されます。

ですから、時間が経ったその先を、努力をしたその先を、克明に頭に広げさせるのは不可能に近いと言っていいでしょう。

 

しかし、上記のことを踏まえた上で「こうすればこうなる」を教えるのは非常に大事だと思います。「努力が実になるかどうかは結果論。だから努力が実るのはいつになるかわからないし、実になるかどうかも分からない。けれど、ヒーローになりたいならば努力はそれを叶えるだけの価値はあるものだよ」なんて言って「努力すればヒーローになれる」と伝えられるとどうでしょうか。少なくとも僕は今の前置きがある方が納得させられます。

 

意外と分かっているようで分かっていない「教える人は知らない人に教える」という至極当然のことを再認識してみるべきではないのかなと思います。それが、真に自分の意見に納得させる説得力のある言葉になる礎、また相手の真の意味でのモチべーションを挙げる原動力となるのではないかなという風に思います。

 

とにかくね、今の自分に高校時代の思い出を想い起こすようなことはできないわけなので、色々話を聞かせてもらってみんなの思い出を分けてもらいたいと思うのです。

高校時代最高やった!ってこの年代から思える人、羨ましいです。

思い出は大切に。