Knock our Heart -nockのひねくれブログ-

自分の価値観を表現する場所 

「自分は〇〇するために生まれてきた」と考えることの無意味さ

人はよく「自分は何のために生まれてきたんだろう」と考えますよね。

「愛してる。君にそう伝えるために僕は生まれてきたんだ」なんてロマンチックで素敵な歌詞もあるくらい、自分が生まれてきた意味、そしていま生きている意味を探ろうとします。

 

でも、「自分は〇〇のために生まれてきた」って答えが出たならば、〇〇が達成された時点でなんのために生きているのか分からなくなることを、みなさん自覚しているでしょうか。

「愛してる」と伝えたら、お役御免でこの世からバイバイするんですか?

そんなことないでしょう。なんやかんや、意味なんてなくても僕らは生きていかなければなりません。

 

そう考えると、生まれた意味を考えること自体無意味な気がしませんか?無意味とまではいかなくても、そこまで真剣に考えることがバカらしくなる気がしませんか?

僕は今、生まれてきた意味など何も考えず、ただ自分がこうしたいからこう生きています。天から与えられた使命を全うするなんて、そんなたいそうなこと考えてません。せっかく与えられたお命を、好きなように生きてやろうとしているだけです。

 

人の役に立つため生まれてきた。

人を幸せにするため生まれてきた。

 

そう思うのは結構です。でもそう考えてしまうと、それならば自分は人の役に立たなければならない、人を幸せにしなければならない。そういう風に思わなければいけなくなります。

それって疲れます。自分の行動が自分の生きる意味に制限されます。

僕はそういうの嫌ですね。

行動が生まれた意味に支配され、使命を成し遂げた後は生きる意味として支柱となっていた部分がぽっかり空いてしまう。なんか腑に落ちません。

 

生まれた意味なんて考えず、好き勝手生きてやればいいんです。

人の役に立つ理由は、人の役に立つために生まれてきたからじゃなくて自分が人の役に立ちたいと思ったから。そう言えるようでありたいです。

 

僕が生まれてきた意味は、僕の生きたいように生きるためです。